【横浜山手探検隊・5】西洋館・ブラフ18番館

 

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1858年日米修好通商条約を結んだ際に

横浜のこの山手地区は外国人居留地とされ

黒船がやってきて開港された日本の中でも

限られたこのエリアに外国人が住んでいた。

鎖国していたサムライたちも

日本に来た外国人たちもお互い

カルチャーショック連続だったんだろうなぁ。

その後、関東大震災や戦災で横浜の景色から

その頃の「家」は消えてしまったのだけど。。

 

駅から坂道をのぼり(前回の記事はコチラ

階段を登ると【ブラフ18番館】に到着〜☆

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ここは大正時代につくられた外国人宅。

私が幼い頃、祖母が 何度も何度も

戦争の時の話をしてくれたことを思い出す。

「おばあちゃん。また同じ内容を話してるよ」

とは、私は言わなかった。

その話をする時のおばあちゃんは 必ずや

「私はもうあと何年生きれるかな」とつぶやき

その話をきいていると

戦火を逃れ逃れ生き延びた話に展開する。

大変だったけど、必死で生きるために

闇市に行ってお米を買ってきたことなど

そういった悲しい話の最中

ふと、「もー大変だったよ」と笑う。

小学生だった、中学生だった私だけど

そのおばあちゃんの姿にどこか

「生きることのエネルギー」を感じて

決して話を遮ってはいけない気がした。

 

苦しいとき 悲しいとき

だからこそ生きようとするチカラ

平穏で安心できる生活を願っている時は

大切に思える様々なことや関係

なのに平穏で平和になったとたんに

忘れてしまいがちなささやかな幸せ。

 

日本は空襲にあって横浜も焼け野原に。

「この山手の麓から

あーっちの本牧の先の海が見えたんだよ」

何もなくなった町の光景をみた時の気持ち。

「ここから海が見えるなんて」と。

おばあちゃんは その光景を何年経っても

ずっとずっと忘れられなかったのでしょう。

 

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このブラフ18番館は 1991年まで

山手カトリック教会の司祭館として使用されてた

震災復興期(大正〜昭和初期)の外国人住宅を

感じることができる。

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「住まい」によって 人は、

完全でなくても危険から守られている。

身の周りに安全なエリアを整えることで

人は緊張から解き放たれ安心に繋がる。

住まいしかり、仕事しかり、人間関係しかり。

 

まずは、

住んでいるお家さんや職場のデスクさんに

「守ってくれてありがとう」と感謝をして

お掃除してあげる(雑巾掛けなど)と

自分のオーラに包まれ自分の気も整うよ。

 

寒い冬ですが 晴れた日は窓を開け

ぜひお家さんに

呼吸をさせてあげてくださ〜い♪

 

Tarot Therapist 南咲佳歩☆

 

↓ 昔のピアノってロウソクが

↓ 灯せるんですねっ★

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<PHOTO>

ブラフ18番館

Bluff18 /Yokohama(Kanagawa)

Jan/2014

■ブラフ18番館(入場料無料)■

住所:横浜市中区山手町16

開館時間:9:30~17:00(7・8月は18:00まで延長)

休館日:第2水曜日
(祝日は開館し翌日休) 年末年始(12/29~1/3)
TEL:045-662-6318

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